三内丸山遺跡

連休中は一泊二日で青森に旅行しました。最近世界遺産に登録された三内丸山遺跡に行きたかったからです。ここは縄文時代前〜中期、紀元前3900〜2200年に人々が暮らしていた有様がありありと推量できる遺跡です。1992年、青森市郊外のこの辺りに野球場建設の計画が持ち上がり、建設を始めたところ土器や遺構などが大量に発見されたため、球場建設を中止して発掘調査が行われたとのことです。2000年特別史跡に、2003年には重要文化財に指定され、2021年に世界遺産として登録されました。今から5000年前の縄文時代の『ムラ』を体験できる、世界的にも貴重な遺産です。

 

クリの巨木で作られた建物、遠くから見えるモニュメントだったらしい

約1時間かけて案内してくれた人は現地のボランティアで、色々と面白いお話を聞かせてくれました。

 

当時の倉庫を再現した建物の前におられる語り部

当時は日本列島の人口の大半が東日本在住だったこと、ブナの林にクリの木を植えて育てていたこと、ブリ、サバ、マグロを食べていたこと、糸魚川原産のヒスイを加工していたこと、円形の墳墓に有力者を埋葬したこと、子供のお墓も多かったことなど教えてくれました。土器などを捨てていたところは何層にも出土品があり、時代ごとの変遷がよくわかるように土を掘って観察できるようにしてありました。昔教科書で習った原始的な狩猟民族とは全く違っていました。また、これほどの生活は鉄器なしでは無理だったろうと思います。

 

ここに住んでいた縄文人は紀元前2000年頃この集落を捨て、南へ移動したと思われます。この頃、気温が下がり、海岸が後退し、この場所ではそれまでの生活様式を維持できなくなったからです。

 

これらの人々の子孫はのちに中央(朝鮮半島から渡来の近畿勢)と戦って独立し、日高見国を作ったと言います。今の北上川流域付近です。平泉藤原氏安倍氏などはその流れです。

 

八甲田丸

 

遺跡見学の後、青森市内に移動しました。「津軽海峡冬景色」で有名な青函連絡船がここに係留され、博物館になっています。1988年に最終運行がなされたようです。情緒あふれる連絡船に一度は乗ってみたかったです。(つづく)

 

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