ルービンシュタインのライブ録音

我々クラシック音楽の好事家にとって、LPやCDの収集は基本です。CD時代以降、原音の生々しさは後退した代わりに、廉価でたくさんの音源を入手できるようになりました。昨日書いたリヒテルのシリーズでも10枚組で4000円ほど。昔なら1〜2枚の値段です。有名なピアニストなら「録音全集」100枚組とかが1万円そこそこで出ていたりします。CD1枚あたり100円が相場になってきました。しかし、そんなに大量のCDを購入したとしても、まず聴く時間がありませんね。あとのことを考えて、「厳選して」購入したいものです^^;。

 

20世紀の初め頃、ピアノ演奏を聴くのは生が基本でした。ピアニストは演奏会に出演し、人気を得るとさらに大きな契約につながり、世界的になっていくというパターンです。しかし録音が可能になってきた頃から、人々はSPやLPの再生音から演奏家を判断するようになりました。と言っても最初の頃は再生音も蚊の鳴くような音で、かろうじて演奏の輪郭がわかる程度。録音は一発どりで、当時の録音(1930年ごろまで)はミスタッチも多いのが普通ですが演奏家はあまり気にしていませんでした。

 

ところが、電気録音が一般化し、再生音が生に近くなるにつれ、ちょっとしたミスタッチがとても耳につくようになってしまいました。この頃自分の録音を聴いたルービンシュタインは、その酷さに愕然とし、「一からテクニックを立て直さなければ」と演奏活動を一時中断して練習に励んだと自伝に書いてあります。

 

ところが、実際の演奏会では、ミスタッチを恐れて安全運転に終始したのでは大きな感動は得られません。聴衆がびっくりするような表情豊かな演奏、人間離れした演奏が受けるのです。「血を流さない演奏会はつまらない」とはルービンシュタイン談。

 

血気盛んなライブ演奏会と外見を整えたスタジオ録音を両立させたルービンシュタインは、自分のライブ録音を生前はほとんど出させなかったのです。ミスタッチが気になったからでしょう。

 

ルービンシュタインは「幻のピアニスト」リヒテルの米国デビュー演奏会に立ち会い、その迫力に打たれました。「こうしてはいられない」と、リヒテルの向こうを張って、カーネギーホールを借り切り、10回の連続演奏会を1961年に行い、その収益を寄付しました。

 

そんな人間臭いルービンシュタインカーネギーホールライブは、生前は1枚のLPがあっただけでしたが、最近になってCD4枚分が公になっています(ルービンシュタイン全集に収録)。それ以外でも、1964年のモスクワライブ、1975年のパサデナライブなどが入手可能です。

 

リヒテルは西側に出てきてから晩年に至り、ライブでも楽譜を置いての教科書的演奏に終始したのに対し、ルービンシュタインはライブならではの興奮を与えてくれる演奏を続けていました。カーネギーホールライブ当時74歳。中でもストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」やアルベニスの「トゥリアーナ」など、困難な曲に立ち向かう迫力には圧倒されます。

 

 

1966年にフェスティバルホールで聴いたルービンシュタインの実演は決して忘れることができません。葬送ソナタから始まり、スケルツォ1番やノクターン8番、即興曲3番などを経て英雄ポロネーズで終わる、オールショパンプログラムでした。練習曲作品10ー4番では最後の音を大胆に外してましたが、そんなことはお構いなしの大迫力。ノクターン8番は絶妙の美しさで、ゆったりした曲にも関わらずブラボーの嵐でした。

 

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