ブラームス(1833〜97)はベートーヴェン、バッハと並ぶ3大Bとされるドイツの作曲家ですが、最近は表題の韓国ドラマでさらに有名になりました。同じドイツの先輩作曲家ロベルト シューマン(1810〜56)とその妻クララ(1819〜96)との三角関係でつとに有名であり、ドラマにもなりやすいのです。
シューマンは「子供の情景」や「クライスレリアーナ」などのピアノ独奏曲、「詩人の恋」や「くるみの木」などの歌曲で歴史に残っていますが、これらの名曲とされる曲のほとんどは1840年までに書かれたものです。クララに恋い焦がれ、義父と裁判までして結婚にこぎつけたのが1840年9月でした。
しかし、結婚後は8人の子宝に恵まれたものの、傑作をあまりものにすることができず、1856年、失意のうちにほぼ発狂状態で亡くなりました(46歳)。妻のクララがピアニストとしてより有名であり、演奏活動で生活費も稼げたことから、目標を消失した(生きがいをなくした)のが原因と思われます。
ブラームスは1853年に初めてシューマン夫妻に会いました(20歳)。シューマンの前で自作のピアノソナタを演奏したと言います。シューマンはブラームスの才能に感激し、自分が編集人となっている音楽評論雑誌に絶賛の文章を載せたりしてブラームスを応援しました。
ブラームスとクララの交流はロベルトが没した後本格化し、有名になったブラームスは未亡人となったクララを公私共々応援したとのことです。8名の子供とも色々と関わっていたことから、ブラームスとクララの関係はショパンとジョルジュ サンドの関係と同じようなものであったと私は思っています(プラトニックな関係、女性が年上、子持ち、生活力がある)。ブラームスは一生独身でした。
ブラームスはシューマンとは対照的に晩年に至るほど傑作が書けたことが作品リストを見れば一目瞭然です。
例えば、ブラームスがシューマンに披露したピアノソナタは全3曲あり、なかなかの力作ですが、今聴いてみると最も有名な3番(作品5)でさえ傑作(マスターピース)とは言えないと思います。
一方、誰が考えてもピアノソナタよりも優れている3曲のバイオリンソナタは1870年代以降の作品です。最初の交響曲(1番)作品68とて完成したのは1876年、ブラームスが43歳の時です。
ブラームスによる名曲のほぼ全てがクララとの親密な交際が始まってからというのはとても興味深いことです。最高傑作のクラリネット五重奏曲やクラリネットソナタは1890年代の作品です。そしてクララが77歳で亡くなった翌年に、ブラームスもまた後を追うように亡くなったのでした(64歳)。
クララは天才作曲家を本気にさせる特殊な才能を持っていたのかもしれませんね。
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