開業前夜

米国での留学生活を終え、大学に戻って来たのが37才の時でした。留学では研究ばかりしていたのですが、眼科学教室でしたので(ミネアポリスミネソタ大学)、研究室は眼科の中にあり、研修医、レジデント、ファカルティとの交流もあり、米国で医学部を出て医師になった人がどんな考えか、よく理解できました。

研究者としては、注目度の高い論文を書くことが重要ですが、そのためには、自分の時間のほとんどすべてを研究生活に割かなければなりません。一方、臨床医として一人前になるには、ベッドサイドで患者さんと過ごす時間が大切です。二つの課題は矛盾していますので、一人前の臨床家である前に一流の研究者であるべしとの考え(留学前、日本でなんとなく思い込んでいた考え)は必ずしも正しくないと気づいたのです。

自分の時間の大半を診療や手術、学習に使うのでなければ、まともな医療はできないと思いました。

日本に帰って、民間病院に眼科医として勤務する機会を得ましたが、米国の眼科医の常識では独立開業が理想であり、自分もいつかはとの考えが強くなってきました。

しかし、当時、開業して手術を主たる生業とするとの考えはありませんでした。少なくとも都会では大きな病院での手術が一般的で、恩師の先生にまで「手術いうても、開業やとなかなか大変やでえ」といわれる始末でした。

大学の先輩の中では最も有名な開業医の先生ですら、週に数件の手術だったのですから、それもむべなるかなです。

開業して2〜3年で年間1000件を越える手術を手がけるとはとても想像できませんでした。

勤務医時代、部長として年間500件くらいの手術をしていました(病院全体で2000件くらい)。開業2年目(1995年)の手術が600件でしたから、早くも勤務医時代を上回りました。最も多い時期、個人で2500件くらいに達したのが最高でした。

今は副院長が術者として加わってくれていますので、もうすこしゆっくりのペースになっています。

開業当時、日本では手術開業という考えはまれで、しかも、老人医療費無料という追い風の中、白内障手術の需要はまことに旺盛ということで、いくつかのラッキーが重なった結果だったと思います。

米国で同じ時期シニアレジデントを送り、フロリダで開業したエチオピア出身の眼科医が、「開業しても手術の患者が来なくて大変。まず、クリニックの名前を書いたボールペンを作ることから始める」とか言ってたのが印象的でした。

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