扶余

先週末は百済(現在は韓国)の古都、扶余を訪れました。西暦663年、新羅と唐の連合軍により滅ぼされた百済を救うため、倭国(日本の前身)から大軍が派遣されたところです(白村江の戦い)。王宮サビ城には火が放たれ、一週間燃え続けたとされています。したがって現在、何も当時の建物は残っておらず、一部再建された建物があるだけです。

新羅、唐の兵による蹂躙を恐れ、3000名の女官が身を投げたとされる、落花(下)岩を見物しました。とても恐いところでした。

扶余というのは紀元前後まで、現在中国に領有される満州の地にあった国家の名前です。遥か南の朝鮮半島に地名転移しているのは、民族の移動を示唆します。

百済が滅ぼされた後、数万人以上といわれる人々が日本列島に亡命(移住)いたしました。その痕跡は、日本のあちこちにある「百済」という地名に残っています。


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