ショパンと作曲家たち

ショパン(1810〜1849)がピアノ音楽史上、空前絶後の作曲家であることは、誰の耳にも明らかです。ロシアの有名な作曲家=ピアニストのアントン ルビンシテイン(1829〜1894)は、「ピアノ音楽の歴史はショパンで終わった」と述べました。ルビンシテインはしかし、メロディヘ長調舟歌など、綺麗なピアノ曲をたくさん作曲しています。

 

また、ルビンシテインはロシアンピアニズムの祖とも考えられています。右手と左手を交互に使って、メロディーやオクターヴを演奏し、技巧的に易しくしながら効果を出すやり方です。メロディヘ長調を演奏すればわかります。20世紀ではホロヴィッツが代表選手です。

 

ショパンよりも少し若い世代の作曲家にとって、ショパンは憧れ以外の何者でもありません。チャイコフスキー(1840〜1893)やフォーレ(1845〜1924)は、ショパンに倣って「即興曲」「舟歌」「夜想曲」「幻想曲」などと称する曲を作曲しました。チャイコフスキーの最後のピアノ小品集作品72は即興曲で始まり、子守歌、マズルカ、幻想曲、スケルツォ、と、ショパンの影響が明らかです。ブラームス(1833~1897)、サン=サーンス(1835~1921)とて同様です。

 

ショパンと同世代のピアノ音楽作曲家も大勢います。メンデルスゾーン(1809〜1847)、シューマン(1810〜1856)、リスト(1811〜1886)、アルカン(1813〜1888)などです。ピアノ音楽黄金期とでも言うべき時代です。

 

これらの作曲家にとっては、ショパンはもちろん、巨大なライバルでした(越えられない壁)。それでも、シューマンは国が違いますので、ショパンを評論で持ち上げたり、自分のとっておきの作品(クライスレリアーナ作品16)を献呈したりしています。ショパンの方はシューマンをあまり評価(理解)していなかったようですが。

 

リストはピアノ演奏家としてはショパンより有名であったものの、作曲については少し嫉妬していた感じが、リストによるショパンの演奏会評で見て取れるようです(J=J エーゲルディンゲル)。ショパンはリストの外面的けばけばしさを嫌っていました。

 

アルカンは一般にあまり知られていませんが、練習曲やたくさんの小品で知る人ぞ知るです。ショパンの葬儀にも出席したそうで、ショパンの友人でした。マルモンテル(1816〜1898)に負けて音楽院の教授になれなかったので、晩年は隠棲生活を送ったとか。作品にはショパンとはまた違った魅力があり、個人的にはリストやメンデルスゾーンピアノ曲よりも優れていると感じる時があります。もちろん、マルモンテル(練習曲の楽譜がプリズムより出ている)とは比べるも愚かです。

 

特に長調のための練習曲作品35(12曲)と短調のための練習曲作品39(12曲)は合わせて24曲、ショパンの練習曲と内容的に遜色なく、規模で遥かに凌駕する名品ですが、こちらはほとんど認知されていません。もったいないことです。楽譜はヤマハから出ていましたが、作品39が入手困難です。再販を望みます。私が以前から所蔵している海外版は印刷が劣悪ですから。

 

今回久しぶりに作品39−8を弾いてみると、最後にたどり着くまでに息が切れました。なんぼなんでも長すぎます。第二主題がとても綺麗でうっとりですが。

 

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