3歳の時に麻疹で失明し、近所の盲目の門付芸人さんから、唄と津軽三味線を習って、10代の頃から門付芸人として東北や北海道をまわってホームレスような生活をしていたそうです。
また、三陸沖地震で津波の被害にあったり、太平洋戦争があったりと、たくさんの困難の中を生きてきた人です。
70代の時にはアメリカ公演をし、ニューヨーク・タイムズに取り上げられるなど、津軽三味線奏者としての功績を残しました。
「辛いことは忘れないね、楽しいことは忘れるものですよ。辛いことは体がざわめいてくるから、やっぱり忘れられないな。」
という言葉からたくさんの苦労があったんだと想像できます。
昨年は高橋竹山の没後20年で「津軽のカマリ」という映画が制作され、高橋竹山流である私たちの会でも映画公開記念コンサートを行いました。
満席で立ち見が出る程のお客さんが来てくれて、高橋竹山の名前を知ってる人が沢山いるんだなぁと改めて感じました。
竹の紋のお揃いの着物で竹山流としての一体感を感じながら演奏できました。
M.S