昨日の続きでちょっと過去を振り返りますと、超音波白内障手術専属での最初の器械はAMO(当時はアラガン、現アボット)のプレステージでした。キャビトロン=アルコンの牙城を攻めるべく導入された機種でした。
火曜と水曜のお昼から各8例ずつくらいだったように思います。手術室もひとつで、患者さんの入れ替えに結構時間をとられました。
当時白内障超音波の日帰り手術は珍しかったので、大勢の見学者が来られました。それなら一度にしてしまえと、見学希望の医師を集めて、学会形式にライブ手術を行ったこともありました(計3回)。
当院から衛星中継で、手術の様子を日航ホテルやオーバルホールの会場に飛ばしました。結構な経費がかかったことと思いますが、当時は器械メーカーがこれくらいのサポートはしてくれたのです。古き良き時代です。
今ではライブ手術そのものが自粛といいますか、行われることがなくなっています。また、器械や製薬のメーカーとの付き合いは、金銭面ではげしく制限されることとなっています。
術者として登場したのは小生以外では、K大のS先生、香川のN先生、大阪のE先生、K先生、東京のS先生、S先生、宮崎のT先生などなど、今でも親しくおつきあいいただいている、眼科手術の泰斗というべき先生方です。
このセミナーは2000年にLASIKを導入し、手術室を2階に拡張した頃まで行いました。最後のセミナーではLASIKのライブ手術を行い、ジョンスホプキンス大のO先生も講師として参加してくれました。
当ビルの2階は開院時、メキシコ領事館が入っていました。2階のベランダからはメキシコの国旗がかかげられ、患者さんにも「旗を目印に」と説明したものです。しかし、領事館は5年ほどで転居され、2階が空いたので、早速借り増しすることにしたのです。
手術室が3部屋あり、白内障では2部屋を行き来しますので、患者さんの入れ替えで時間ロスすることがなくなり、短時間に大勢の患者さんの手術を行えるようになりました。
この頃の超音波装置はAMOのソブリンで、これは10年近く使い続けました。
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