自宅に籠る

コロナのせいで、この連休はあらゆる計画を取りやめ、自宅に籠ることを義務として取り組まなければなりません。といえばなんかとてもしんどい事のようですが、実は、家でダラダラしなさいということですので、ラッキーと前向きに捉えることです。

 

どうせこの時期、花粉症があるので外出はしないほうが良いのです。忘れてゴルフなど行こうものなら、とんでもない結果が待っています。昨年の連休はパリ旅行でしたが、あっちでも花粉症はひどかったですね。市中はマロニエ、郊外は麦畑と散々でした。

 

今年は4月に入ってからコロナ対策でずーっとマスクをしていますので、幸い、今のところ花粉症は軽症です。

 

一人になる時間があるともちろん、ピアノの練習をします。この歳で上達することは期待できず、人に演奏を聴かせる訳でもないのですが、とにかく楽しく時間を過ごせます。

 

なにせ、西洋音楽の古典といっても膨大で、365日弾き続けたとしても全て弾き尽くす事はできません。ショパンベートーヴェンといった有名どころだけでも、ピアノのための作品を全部弾くには何十時間もかかりますし、難しい部分は練習しないと弾けないので、余計に時間がかかります。とても時間が足りない。

 

しかも、ピアノの前に楽譜を立てて、機械的に弾いても疲れるだけです。それよりも、楽譜を見て音楽をイメージすることから始めなければなりません。読譜と実践の繰り返しです。

 

また、作曲家の伝記も好きです。憧れの名曲がどんな動機で、またどこで出来たかなどわかると、とても面白いのです。

 

例えばベートーヴェンの名曲の中でも規格外の大曲が、実は恋愛感情の裏返しであったなど、最近の伝記、例えば青木やよひさんの「ベートーヴェンの生涯」を読むとわかります。ピアノのための変奏曲で最も長く、複雑で、難しい「ディアベリ変奏曲」などがそうで、献呈者に恋い焦がれた末の作品だったようです。

 

しかもこれが不倫で、実際に子供をもうけた可能性もあったらしい。ベートーヴェンは存命中から偉大な作曲家として有名であり、貴族のご婦人方の憧れでもあったでしょう。しかし、身分違いゆえ決して結婚には至らず、生涯にわたって、判っているだけでも10名以上のお嬢さん、ご婦人が恋愛の対象として記録されています。

 

我々が知っている古典音楽の名曲の作曲者の生きた時代は、まさに貴族社会の終わる頃でした。作曲家は平民で、貴族のサポートで曲を作ったのですから、貴族に気に入られるように色々な工夫を凝らしたのです。気に入られたり、裏切られたりの連続でした。

 

ショパンの後期の名曲は貴族の成れの果て、ジョルジュ サンド夫人との同棲生活から生まれたもので、夫人と別れた後は腑抜けのようになってしまい、筆も進まず、ほとんど曲すら作っていません。

 

チャイコフスキーショパンよりもさらに30歳若い世代ですが、後進国のロシアだったため社会的環境はショパンの頃のパリと同じようなものです。ただ、チャイコフスキー自身は土着の準貴族階級だったようで、一生まともに結婚せず過ごした理由は、貴族のサポートを受けるためというよりは、自身の性同一性障害だったようです。

 

そういえば、チャイコフスキーの最も有名な曲はバレーのための音楽ですし、同じ旋律を反復し、構成よりも情緒に訴える作曲スタイルは女性的かもしれません。音色とリズムに対するこだわりはすごく、自分でも踊ったり歌ったりしたそうです。

 

チャイコフスキーは長期間、フォン メック夫人に金銭的援助を受けていたのは有名な話ですが、実際に会ったことはなく、文通だけのおつきあいだったとは、信じがたいことです。夫人は彼の音楽によほど惹かれていたのでしょうし、女性とのおつきあいが出来ないことも理解していたのでしょうか。

 

夫人はチャイコフスキーの晩年に年金支給を突然中止します。どうやら他の作曲家に乗り換えたようで、チャイコフスキーの怒りの手紙が残っています。最後の大作、悲愴交響曲が初演された直後、チャイコフスキーの男色のスキャンダルが発覚するのを恐れた周りの人々の勧め(人民裁判)により、ヒ素を飲んで自殺したとの説が有力です。なんとも壮絶な最期です。

  

そんな晩年に書いたピアノのための18の小品(作品72)は、ショパンシューマンの傑作と並ぶ名品です。全音から楽譜が出てます。

 

ST